ビートルズ特集


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ボブ・ディラン/Bob Dylan

 

 1941年生まれ。米国ミネソタ州ドゥルース出身のソングライター、ボーカリスト。本名は、ロバート・アレン・ツィンマーマン。カントリー、ブルースの影響を受けながらもメッセージ性の強い独自のソング・ライティングを確立し、多くのフォロワ−を生み出すことでカリスマ的な存在となったロック界の巨人の一人である。

 ミネソタ州の高校時代からゴールデン・コーズと名乗るロック・バンドを結成して音楽活動に手を染めていたディランは、ミネアポリスのミネソタ大学在学中に本格的なミュージシャンとしての活動をスタートする。また、この時期に地元のコーヒーハウスでフォーク・ソングを歌い始めていた彼は、詩人のディラン・トーマスの影響を受けて自らをボブ・ディランと称することになる。

 1961年1月に意を決してニューヨークへ移り住んだディランは、当時からフォーク・コミュニティとして知られていたグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウスでフォーク・ソングを歌う日々を送る。そして、同年9月にニューヨーク・タイムズの批評家ロバート・シェルトンによるコンサート・レビューが、コロンビアA&Rの大物プロデューサー、ジョン・ハモンドの目にとまったことをきっかけに、ディランはハモンドのプロデュースによってデビュー・アルバム「ボブ・ディラン」(1962年) をリリースするに至る。

 尊敬するカントリー・シンガー、ウディ・ガスリーに捧げた "Song To Woody" を除けば、主としてトラディショナルなフォーク、カントリー、ブルース・ナンバーによって構成されたアルバム「ボブ・ディラン」は、当時のディランのフォーク・シンガーとしての一面 を伝える貴重なレコーディングではあるものの、収録曲のオリジナリティにおいては十分な成果 を示すものではなかった。

 ディランのソングライターとしての才能は、第二作目のアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」(1963年) によって、ようやくその一端を垣間見せることになる。このアルバムには、彼の代表曲である「風に吹かれて ("Blowin' In The Wind")」「北国の少女 ("Girl From The North Country")」「戦争の親玉 ("Masters of War")」等が収録され、今日においてもボブ・ディランの入門書的なアルバムとしてその名が挙がる歴史的名盤の一つである。

 その後のディランは、「時代は変わる」(1964年)、「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」(1964年)、「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」(1965年) といったクオリティの高いアルバムを立て続けに発表して精力的な活動を続けていく。また、当時からすでに伝統的なフォーク・ソングのプレイ・スタイルに背を向けつつあったディランは、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでバターフィールド・ブルース・バンドとともにエレクトリック・ギターを演奏して、従来の純粋なフォーク・ファンからの非難のブーイングを浴びせられることとなる。

 しかしながら、ディランが目指すエレクトリックなフォーク・ロックは、次作「追憶のハイウェイ61」(1965年) でその成果を十分に示し、このアルバムからシングル・カットされた「ライク・ア・ローリング・ストーン ("Like A Rolling Stone")」は全米チャート第2位の大ヒットとなった (アル・クーパーのオルガン・リフとマイク・ブルームフィールドのギター・ソロがフィーチャーされたことも、このナンバーの話題の一つである)。さらにディランは、翌年の1966年に2枚組の傑作アルバム「ブロンド・オン・ブロンド」を発表して、フォーク・ロック、カントリー・ロックへの展開を決定づける。

 ロック史上に残るディランの主な功績としては、アコースティックなトラッド・フォークからロックンロールへの橋渡しをおこない、フォーク・ロックやカントリー・ロックと呼ばれる新たな音楽ジャンルの端緒を開いたことが挙げられる。加えて、フォーク・ソングの伝統的な曲作りに対し、個人の体験やアイディアに基づく自己告白的なメッセージ・ソングのスタイルを打ち出すことで、ロック・ミュージックにおける歌詞の重要性を認識させるに至った点も見逃すことはできない。

 ピーター、ポール&マリーの「風に吹かれて ("Blowin' In The Wind")」ザ・バーズ「ミスター・タンブリンマン ("Mr. Tambourine Man")」、ジミ・ヘンドリックスの「見張塔からずっと ("All Along The Watchtower")」、ジョー・コッカーの「川の流れを見つめて ("Watching The River Flow")」など、数えきれないほどのミュージシャンがボブ・ディランの曲をカバーしているが、これらのディラン・ナンバーの多くが、あたかもカバーしたミュージシャンの代表曲であるかのように受け入れられている事実も、ディランが与えた影響力の大きさを物語るものであろう。

 1992年にマジソン・スクウェア・ガーデンで開催されたボブ・ディランのデビュー30周年を祝うトリビュート・コンサートでは、エリック・クラプトン、元ビートルズのジョージ・ハリスン、スティービー・ワンダー、ルー・リード、ニール・ヤング等々といった英米の大物アーティスト達がディランのヒット・ナンバーを歌い繋いだ。ボブ・ディランの足跡が、そのままロックンロールの歴史の一部を成すものであることを感じさせるには十分なコンサートであったと言えるだろう。

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