ビートルズ特集


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ウィルソン・ピケット/Wilson Pickett

 

 1941年生まれ。米国アラバマ州出身のソウル・シンガー。独特のハスキー・ボイスを振り絞るようにシャウトする唄法で知られ、60年代以降のサザン・ソウルを代表するシンガーの一人として人気を集めた。

 50年代半ばからデトロイトでゴスペル・シンガーとして活動していたウィルソン・ピケットは、1959年にソウル・コーラス・グループのファルコンズへ参加。同グループのリード・ボーカリスト兼ソングライターとしてヒット・シングルの "I Found A Love" (1962年にリズム&ブルース部門のヒット・チャートで第6位 を獲得) を世に送り出し、その実力を認められたピケットは、ソロ・シンガーとしてのデビューを果 たす。

 その後、ソロモン・バークのカバーでもヒットしたピケットの自作曲 "If You Need Me" がアトランティック・レコードの敏腕プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーの目にとまったことをきっかけに、同レーベルとの契約にこぎ着けたウィルソン・ピケットは、アトランティックによってメンフィスのスタックス・スタジオへ送り込まれ、"Don't Fight It""In The Midnight Hour" などの彼の代表曲の多くをこのスタジオで生み出すことになる。

 (とりわけ1965年にリリースした "In The Midnight Hour" は、リズム&ブルース部門のトップチャートを獲得したほか、ポップス部門でも第21位 にランクインするなど、ウィルソン・ピケットにとって最大のヒット・ナンバーの一つとなった)

 リズム&ブルース部門でヒット街道を独走するモータウンの追撃を狙っていたアトランティック・レコードにとって、ウィルソン・ピケットがその戦略上の重要な持ち駒であることは、同じスタックス・スタジオから多くのヒットを放ったオーティス・レディングの場合と同様であった。

 しかしながら、一方のオーティスがアーシ−なソウル・ナンバーに加えてムーディなバラッドをも得意としていたのに対し、ウィルソン・ピケットには、throat-shredding (「喉をシュレッダーにかける」が直訳) と形容されるごとく、ひたすら熱くシャウトするタイプのボーカリストとの印象がつきまとう。

 日本のソウル、ロック・ファンに対する人気も含め、ウィルソン・ピケットがオーティス・レディングほどのポピュラリティを得ていない理由はそのあたりにあるのかもしれないが、反面 、アップ・テンポのビートに乗せてマシンガンのように叩きつける彼のボーカル・スタイルが、70年代以降に花開くディスコ・サウンドのルーツとして評価されていることも事実なのである。

 その後、アトランティック・レコードとスタジオ・オーナーとのトラブルが原因でスタックスを離れたウィルソン・ピケットは、同じメンフィスのアメリカン・スタジオでアルバム「アイム・イン・ラブ」(1968年) を制作する。このアルバムは、オールマン・ブラザース・バンドの若き天才ギタリスト、デュアン・オールマン (「いとしのレイラ」におけるエリック・クラプトンとの競演を始め、ロック史上に多くの名演を残した) を迎えてレコーディングされたビートルズの名曲 "Hey Jude" のカバーを含むことでも話題となった。

 さらに、1970年にはケニー・ギャンブルとレオン・ハフにプロデュースを委ねたアルバム「ウィルソン・ピケット・イン・フィラデルフィア」を発表し、一転して大胆にストリングスのアレンジを起用するなど、ややモータウン寄りとも感じられるゴージャスなサウンドへの接近を試みている。

 残念なことに、とりわけアトランティック・レーベルを離れてからの70年代半ば以降には目立ったヒット曲のないウィルソン・ピケットではあるが、90年代以降の今日に至るまで、大きなブランクもなくコンスタントなアルバム制作活動を継続している。過去の名作の焼き直しに頼りがちなベテラン・シンガーが増える中で、つねに変わらぬ 意欲を持って新たな作品作りに取り組むウィルソン・ピケットの創作姿勢には、ある種の清々しささえ感じられるのである。

 ・関連ページ ブッカー・T&ザ・MGズのリンク集へ(ウィルソン・ピケットの特集ページを含む)

 

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