ロック名曲セレクション


いとしのレイラ
  デレク・アンド・ザ・ドミノス

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Layla
リリース 1970年
作詞・作曲 エリック・クラプトン、ジム・ゴードン
プロデュース トム・ダウド、ザ・ドミノス
演奏時間 7分3秒(アルバム収録のフルタイム・バージョン)
収録アルバム 「いとしのレイラ」(RSO/1970年)
ミュージシャン エリック・クラプトン(ギター、ボーカル)、ボビー・ウィトロック(オルガン、ピアノ、ボーカル、ギター)、カール・レイドル(ベース、パーカッション)、ジム・ゴードン(ドラムス、パーカッション、ピアノ)、デュアン・オールマン(ギター)[アルバム全体のクレジットを転記]

 

[レビュー]

 スーパー・グループと呼ばれたクリームやブラインド・フェイス時代の活動を通 して前衛的なブルース・ロックを展開し、また、ロック・ギタリストとしても圧倒的な評価を確立したエリック・クラプトンは、その後に米国南部を志向するサザン・ロックあるいはスワンプ・ロック的なサウンドへ急接近していく。

 その背景にはレオン・ラッセルデラニー&ボニーらの米国南部のミュージシャン達との交流があったと伝えられるが、クラプトンは南部志向を明確にうかがわせるソロ・アルバム「エリック・クラプトン・ソロ」("Eric Clapton"/1970年/レオン・ラッセルから贈られた名曲「ブルース・パワー」を含む)のレコーディングを経て、デラニー&ボニーのバックを務めていたミュージシャン達とともに新グループのデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成する。

 デレク・アンド・ザ・ドミノスは1970年4月にスタジオ録音によるこのグループの唯一のアルバム「いとしのレイラ」を発表する。クラプトンは、このアルバムのなかでメンバー個々のテクニカルなソロ・プレイにウエイトを置いたスーパー・グループ時代のサウンド構成を完全に脱却し、各プレイヤーが一体となって生み出すバンド全体のグルーヴ感を重視するスワンプ・サウンド系のブルース・ロックを展開している。また、「いとしのレイラ」にはサザン・ロックのシンボル的なギタリストであるデュアン・オールマンが参加し、彼特有のスライド・ギターによってアルバム全体に深い彩 りを加えるとともに、クラプトン自身のギター・プレイにも大きな刺激を与えたものと想像される。

 ブリティッシュ・ロックとサザン・ロックの美しい邂逅によって生み出された「いとしのレイラ」は、そのゆえにロック史上に残るブルース・ロックの名盤として高い評価を得たが、このアルバムが多くのロック・ファンにとって忘れ難い存在となっているもう一つの理由はアルバムのタイトル・ナンバーでもある「いとしのレイラ」であろう。

 本ナンバー「いとしのレイラ」は、溢れ出る激流を奔らせるかのような情熱的な主題を奏でるエレキ・ギターのツイン・リードでスタートし、一瞬のエア・ポケットに吸い込まれるかのごとき絶妙の転調を経てクラプトンのリード・ボーカルへと導かれる。クラプトンのボーカルにはハイ・トーンのギター・フレーズがあたかもバック・コーラスのように寄り添い、曲はさらなる転調を経てイントロのツイン・リードによる主題へと回帰する(このパートは単なる導入部にとどまらずボーカル・ラインにおけるサビを構成していく)。曲はこの二つの主題の間をめまぐるしく行き交うが、やがて激情のなかでむせび泣くようなオールマンのスライド・ギターがその存在を際立たせるインスト・パートへと引き継がれ、さらにジム・ゴードンのピアノが主導する後半部分へ展開して穏やかでエレガントな旋律のうちにそのエンディングを迎える。

 「いとしのレイラ」は、個々の主題のインパクトや美しさに魅了されることはもちろんだが、曲全体を通 して表現される大胆な表情の変化やドラマティックな展開力により大きな魅力が見い出されるナンバーと言えるだろう。

 ファンの間では周知のことだが、「いとしのレイラ」は、クラプトンの親友であり、同じギタリストとして互いに尊敬し合っていたジョージ・ハリスンの妻、パティへのクラプトンの想いを綴った作品である。他人の妻への恋慕とその成就がどれほどの苦難を伴うかは同じ立場に身を置いた者にしかわからないことであろうが、ましてやクラプトンの場合、相手の女性は親友の妻なのである。

 過酷な運命に立ち向かう道を選んだクラプトンの心情は、「いとしのレイラ」のいずれの主題にも表れている。押さえ切れない激情と焦燥感、そして傷つかないはずのない自らの心を癒すための救いへの希求、そのすべての要素が渾然として一つの楽曲に注ぎ込まれ、かつ、描き出されることによって「いとしのレイラ」は多くのリスナーを感動させるロック史上の名曲に成り得たのではないだろうか。

 

[モア・インフォメーション]

 「ワンダフル・トゥナイト」のレビューでも述べたとおり、クラプトンは実体験に基づく自らの心情をベースにあたかも私小説のごとくオリジナル曲を作り上げるケースがある。「いとしのレイラ」は、おそらくクラプトンがその方法論を最初に試みた楽曲のなかの一つであり、その後のクラプトンの創作姿勢に一つの指針を与えるきっかけとなったナンバーと言えるかもしれない。なお、「いとしのレイラ」はシングル曲(録音時間を切り詰めたショート・バージョン)としてのリリース直後にはメジャーなヒットに至らなかったものの、2年後の1972年にフルタイム・バージョンがリリースされて英米双方のシングル・チャートでトップ10入りするヒットを記録している。

 アルバム「いとしのレイラ」は、デレク・アンド・ザ・ドミノスが残した唯一の公式スタジオ録音盤である。このアルバムは、表題作に加え「ベル・ボトム・ブルース」、「愛の経験」などクラプトンのファンにとって人気の高いナンバーを多く含み、サザン・ロックへ傾倒していた時期のクラプトンを象徴する作品であるとともに彼の全キャリアを通 してその代表作に挙げられるアルバムとなった。

 なお、クラプトン本人はデレク・アンド・ザ・ドミノスの活動期間中からアルコールとドラッグを多用し始め、やがて心身の健康を損なうに至るが、デュアン・オールマン、ジミ・ヘンドリックスといった互いに刺激し合ってきた偉大なロック・ギタリストが相次いで急逝したショックに加え、親友の妻を奪い取ったことによる罪責感がその背景にあったと伝えられる。クラプトンの本格的なカムバックは1974年のアルバム「461オーシャン・ブールバード」("461 Ocean Bouleverd")によって果たされるが、それまでの数年間、彼を献身的に支え続けた女性がパティ・ボイドその人であったという事実はクラプトン・ファンを安堵させるに十分なエピソードと言えるのではないだろうか。

 ・関連ページ エリック・クラプトンのトップページ

 ・関連ページ クラプトン参加グループのリンク集

 ・関連ページ クラプトン関連アーティストのリンク集へ(パティ・ボイドの関連サイトを含む)

 ・関連ページ オールマン・ブラザーズ・バンドのリンク集

 

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