ロック名曲セレクション


チェイン・オブ・フールズ
  アレサ・フランクリン

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Chain Of Fools
リリース 1968年
作詞・作曲 ドン・コヴェイ
プロデュース ジェリー・ウェクスラー
演奏時間 2分45秒
収録アルバム 「レディ・ソウル」(アトランティック/1968年)
ミュージシャン

アレサ・フランクリン(ボーカル)、スプーナー・オールダム(キーポード)、ジミー・ジョンソン(ギター)、 ボビー・ウーマック(ギター)、ジョー・サウス(ギター)、トム・コグヴィル(ベース)、ロジャー・ホーキンス(ドラムス)、キャロリン・フランクリン(コーラス)、ザ・スウィート・インスピレーションズ(コーラス)  [以上、曲ごとのクレジットがないためアルバム全体のクレジットから使用楽器のインフォメーションを転記]


[レビュー]

 ソウルの女王と呼ばれ、また、ビートルズやエルビス・ブレスリーと並んで20世紀を代表するエンターテイナーの一人とも言われるアレサ・フランクリンは、1942年、テネシー州のメンフィスに生まれた。

 ゴスペル・シンガーの母と高名な説教師だった父の間に生まれたアレサは、当然のごとく幼少期よりゴスペル・ミュージックに親しみ、10歳のころにはすでに父の教会でゴスペルを歌い始める。また、父のサポートを受けて、1956年にはアレサにとって初めてのレコーディングが行われている(このときのテープはのちにシカゴのチェッカー・レーベルよりアルバム化して発表された)。

 その後、18歳で高校を中退したアレサは、シンガーとしての本格的なトレーニングのためにニューヨークへ赴き、この地でコロンビアの大物プロデューサー、ジョン・ハモンドに見い出される(ジョン・ハモンドは、ボブ・ディランにレコード・デビューのきっかけを与えたプロデューサーとしても知られている)。

 ハモンドの指導のもと、アレサはコロンビアからアルバム「アレサ・ウィズ・ザ・レイ・ブライアント・コンボ」(1961年)をリリースしてプロ・シンガーとしての第一歩を踏み出す。その後もコンスタントにアルバムを発表し続けたアレサだが、白人の音楽マーケットを強く意識するコロンビアのコマーシャル路線がアレサにブレークのチャンスをもたらすことはなく、やがて彼女はアトランティック・レーベルのジェリー・ウェクスラーに誘われてアトランティック・レコードとの契約に至る。

 アレサ・フランクリンのソウル・シンガーとしての名声は、60年代後半にリリースされたアトランティック時代のアルバムによって確立されたと言ってよいだろう。マッスル・ショールズのリズム・セクションを従えてレコーディングされたアトランティックからのファースト・アルバム「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン・ザ・ウェイ・アイ・ラヴ・ユー」(1967年)は全米チャートの第1位 を獲得したヒット・ナンバー「リスペクト」(原曲はオーティス・レディング)を含み、また、アルバムのタイトル・ナンバーもアレサの代表曲の一つとして高い人気を集めることとなった。

 さて、本ナンバー「チェイン・オブ・フールズ」は、アレサがアトランティックから発表したサード・アルバム「レディ・ソウル」の収録曲である。シングル・ナンバーとして全米チャートの第2位 まで上昇した「チェイン・オブ・フールズ」は、アレサ・フランクリンのキャリアの中でも「リスペクト」と並ぶ最も重要なレパートリーの一つに数えられている。

 曲は、キーボード、ギター、ベース、ドラムスが織り成す艶やかなリズム・セクションに乗せてアレサが歌う力強いボーカル・パートを中心に展開する。揺らぐことのない大木のような太さと強さを感じさせるアレサのボーカルは、ソウルフルでありながらも情に流れがちな湿っぽさとは無縁のドライな歌唱スタイルにその特徴があり、ブルース・フィーリングにあふれるこの曲全体のトーンに対して優れたバランス感覚を浮かび上がらせる。また、華やかなリズム・セクションが聴き手の耳を奪う主題部分に対し、アカペラのコーラスが絶妙なアクセントとなって中間部にメリハリをつける曲全体の構成も見事と言えよう。

 

[モア・インフォメーション]

 プロデューサーのジェリー・ウェクスラーに加え、アリフ・マーディン、トム・ダウドといったビッグ・ネームがアレンジャーに顔を揃えた「レディ・ソウル」は、カーティス・メイフィールド作曲の「ピープル・ゲット・レディ」(ジェフ・ベックロッド・スチュワートのカバー・バージョンでも知られる)、ゴフィン&キングの「ナチュラル・ウーマン」、ヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」、エリック・クラプトンをリード・ギターに従えたブルース・ナンバー「グッド・トゥ・ミー」など多くの話題曲を揃え、楽曲とパフォーマンスの両面 におけるクオリティの高さからもアレサ・フランクリンの最高傑作と呼ばれるアルバムとなった。

 その後も、アレサはアトランティック(67年〜79年)、アリスタ(80年以降)の二つのレーベルからコンスタントにアルバムを発表し続け、多くのミュージシャンやリスナーからの支持と尊敬を集めていく。

 アトランティック時代のアルバムとしては、ビートルズサイモン&ガーファンクルなどのポップ系のロック・ナンバーをカバーした「アレサ・ライヴ・アット・フィルモア」(1971年)と、アレサのルーツであるゴスペル・ソングを歌った「至上の愛〜チャーチ・コンサート」(1972年)の2枚のライヴ・アルバムの評価が高い。

 アリスタ移籍後のアルバムの中では、ナラダ・マイケル・ウォルデン(「蒼き風」の[モア・インフォメーション]をご参照)をプロデューサーに起用し、タイトル・ナンバー(もちろん原曲はローリング・ストーンズ)へのキース・リチャーズの参加が話題を呼んだ「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(1986年)がファンにとっての必聴盤と言えよう。このアルバムからは、ジョージ・マイケルとのデュエット・ソング「愛のおとずれ」がアレサにとって「リスペクト」以来となる全米シングル・チャートの第1位 に輝いている。

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