ロック名曲セレクション



天の支配
  ピンク・フロイド

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Astronomy Domine
リリース 1967年
作詞・作曲 シド・バレット
プロデュース ノーマン・スミス
演奏時間 4分9秒
収録アルバム 「夜明けの口笛吹き」(EMI/1967年)
ミュージシャン シド・バレット(ボーカル、ギター)、ロジャー・ウォータース(ベース)、リチャード・ライト(オルガン、ピアノ)、ニック・メイスン(ドラムス)

 

[レビュー]

 ブルース・ロック、サイケデリック・ロックのグループとしてロック・シーンに登場し、やがてプログレッシブ・ロックの中核を担うロック・バンドとして自らの個性を開花していったピンク・フロイドは、今やブリティッシュ・ロック史上に最も輝かしい足跡を残すスーパー・グループの一つと言ってよいだろう。

 ピンク・フロイドの歴史は、リーダー格のシド・バレットが、自らと同じくケンブリッジ出身の他のメンバーを集めてロック・バンドを結成した1965年に英国ロンドンでその幕を開ける。オリジナル・メンバーはギタリスト兼ボーカリストのシド・バレットに加え、ロジャー・ウォータース(ベース)、リチャード・ライト(キーボード)、ニック・メイスン(ドラムス)の4人。

 グループ名が2人の黒人ブルース・ミュージシャン(ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシル)のファースト・ネームを組み合わせて生み出されたことからも明らかなように、結成当初のピンク・フロイドは、当時のブリティッシュ・ロック・シーンの主流とも言えるブルース・ロックをプレイするロック・グループだった。しかしながら、シド・バレットが次第に音楽上の強力なリーダーシップを発揮していくなかで、グループのサウンドは急速にサイケデリックな色彩 を強めていく。

 ピンク・フロイドは1967年にEMIからデビュー・シングルの「アーノルド・レイン」("Arnold Layne")、さらにセカンド・シングルの「シー・エミリー・プレイ」("See Emily Play")をリリースしてレコード・デビューを飾る。とりわけ「シー・エミリー・プレイ」は、ポップなサウンド感覚の中にも当時としてはかなり斬新なサウンド・コラージュをちりばめた作品で、サイケデリアなロック・サウンドを志向し始めた当時のピンク・フロイドの個性を強く感じさせるナンバーと言えよう。

 さらに、ピンク・フロイドは同年に初のアルバム作品「夜明けの口笛吹き」をリリースし、そのサイケデリックなサウンドの傾向をより鮮明に打ち出していく。

 本ナンバー「天の支配」は、ピンク・フロイドのデビュー・アルバム「夜明けの口笛吹き」のオープニングを飾るナンバーであり、また、当時のピンク・フロイドの音楽性を象徴する彼らの代表曲の一つと言える。

 曲は、一定のリズムで同じ音程を刻むベース・ラインと電子音のようなキーボードのイントロでスタートし、なだれ込むように加わるドラムスとギターの後を受けてシド・バレットのボーカル・パートへと引き継がれる。バレットのボーカルは、特異なコード・パターンが印象的なこの曲の旋律を風変わりなドライヴ感で主導し、ギター、ベース、ドラムスのパートがそれぞれボーカル・ラインに付き従うように音を重ねることで曲全体の緊張感が持続していく。

 曲の全編にサイケデリックなムードが色濃く漂うにもかかわらず、曲のイメージが無機的な印象に陥ることなく独特のグルーヴ感を生み出しているバック・グラウンドとしては、彼らが元来ブルース・ロックをプレイしていたグループであることを無視すべきではないだろう。

 また、個々の楽器のパートがそれぞれの役割を個別に与えられているかのように音を重ねていく楽曲全体のアイディアは、当時のロック・ミュージックの常識とは一線を画すものであり、コンセプチュアルな発想のもとに構造主義的に楽曲を組み立てるプログレッシブ・ロックの手法の萌芽が、この時点ですでに本ナンバー「天の支配」の中に産み落とされていたかのように感じられる。

 

[モア・インフォメーション]

 デビュー・アルバム「夜明けの口笛吹き」のリリース後に、グループのリーダー格だったシド・バレットは精神を病んでピンク・フロイドを脱退する。残った三人は新ギタリストにデイヴ・ギルモアを迎えてセカンド・アルバムの「神秘」(1968年/"A Sauceful Of Secrets")を制作し、グループの存続を図っていく。

 シド・バレットの離脱を契機にロジャー・ウォータースが音楽上のリーダーとしてグループをまとめ始めたピンク・フロイドは、「モア」(1969年/"More"/同名映画のサウンド・トラック)、「ウマグマ」(1969年/"Ummaguma")の2枚のアルバムをリリースした後、1970年には傑作と名高いコンセプト・アルバムの「原子心母」("Atom Heart Mother")を発表してプログレッシブ・ロック・バンドとしての自らのキャラクターを確立する。

 さらにピンク・フロイドは、1973年に彼らの最高傑作アルバムと呼ばれる「狂気」("The Dark Side Of The Moon")を発表する。アルバム全体を統一するコンセプトとレコーディングに9ヶ月を費やしたと言われる緻密なサウンドが聴き手を圧倒する「狂気」は、全米のアルバム・チャートで第1位 に輝くとともに、その後も741週間にわたってチャート・インを続けるという前人未到の大記録を打ち立てている。

 ピンク・フロイドがプログレッシブ・ロック・バンドとしての個性を発揮し、コンセプチュアルな大作アルバムを創り上げるのはロジャー・ウォータースが音楽上の主導権を握った後のことである。ただし、その一方でシド・バレットがロック史上に残る傑出したソングライターの一人であることは疑うべくもなく、バレット在籍時代のピンク・フロイド作品にその後のプログレッシブ・ロックに影響を与えたと思われるルーツ的な要素が垣間見えることはすでに述べたとおりである。

 シド・バレットは、ピンク・フロイドからの離脱後、ピンク・フロイドのメンバーやソフト・マシーンなどのサポートを得て、「帽子が笑う・・・無気味に」(1970年)と「その名はバレット」(1970年)の2枚のオリジナル・アルバムを発表している。

 なお、最後になったが、ピンク・フロイドが1996年にロックの殿堂入りを果 たしていることをお伝えしておきたい。

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