ロック名曲セレクション


タイム・ハズ・トールド・ミー
  ニック・ドレイク

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Time Has Told Me
リリース 1969年
作詞・作曲 ニック・ドレイク
プロデュース ジョー・ボイド
演奏時間 4分24秒(アルバム・ジャケットの裏面には3分56秒と記載されていますが、ここではCDによる実際のプレイ・タイムに従って表記しています)
収録アルバム 「ファイヴ・リーブス・レフト」(アイランド/1969年)
ミュージシャン ニック・ドレイク(ボーカル、アコースティック・ギター)、ポール・ハリス(ピアノ)、 リチャード・トンプソン(エレクトリック・ギター)、ダニー・トンプソン(ベース)

 

[レビュー]

 その声が聴こえ始めた瞬間から心の震えが止まらないという作品は幾つもあるものではないが、ニック・ドレイクが遺した「タイム・ハズ・トールド・ミー」をその中の一曲に挙げる人は少なくないかもしれない。この曲は、稀代のシンガー・ソングライター、ニック・ドレイクのデビュー・アルバム「ファイヴ・リーブス・レフト」のオープニングを飾るナンバーである。

 ニック・ドレイクは、1948年、木材会社で働く父が勤務のために家族とともに駐留していたビルマ(現ミャンマー)に生まれた。ドレイク家はニックが2歳のときに幼き息子とともにイギリスへ戻るが、歌手であり、またソングライターでもあった母、モリー・ドレイクの影響のもとでニックは幼少の頃よりピアノを習い始める。

 10代後半のプライヴェート・スクール時代にビートルズをきっかけとしてロックンロールに出会ったニックは、両親にせがんでアコースティック・ギターを手に入れる。その後、ケンブリッジのフィッツウイリアムス・カレッジへ進学し、大学周辺のコーヒーハウスでギグを繰り返していたニックは、ロンドンのラウンドハウスへの出演を契機にウィッチシーズン・プロダクションズのプロデューサー、ジョー・ボイドの目にとまり、ウィッチシーズンからデビュー・アルバムの「ファイヴ・リーブス・レフト」をリリースしてレコード・デビューを飾る。

 (米国出身のジョー・ボイドは、フェアポート・コンベンションやインクレディブル・ストリング・バンドを見い出して60年代後半のブリティッシュ・ロックの発展に大きく貢献した人物である。なお、彼が所有していたウィッチシーズン・プロダクションズは1970年にアイランド・レコードに買収され、これに伴ってニック・ドレイクのアルバムも以後はアイランドからリリースされている)

 本ナンバー「タイム・ハズ・トールド・ミー」は、ポール・ハリスのピアノとリチャード・トンプソン(当時はフェアポート・コンベンションのギタリスト)のエレクトリック・ギターを左右に従えたニック・ドレイクのアコースティック・ギターによる弾き語りの形を取って進行する。シンプルにリズムを刻むニックのギターに対し、控え目ながらも単なるリフにとどまらず独創的なフレーズを展開するトンプソンのエレキ・ギターと、個性的な転調を繰り返すこの曲の主旋律を優しく導くかのように美しいコード・チェンジを響かせるピアノのパートが音楽面 での大きな効果をもたらしている。

 よく言われることだが、ニックの音楽には「英国的な憂鬱」と呼びたくなるほどのサウンドの繊細さとメランコリックな美しさがあふれている。ただし、ニックの歌と旋律が醸し出す独特の「憂鬱」なムードは、当時のワーキング・クラスの若者たちがその救いを求めた黒人音楽のブルーな暗さ、あるいは、フェアポート・コンベンションに代表されるトラッド・フォーク的な旋律の素朴さとはまったく異質のものである。

 「タイム・ハズ・トールド・ミー」はリズム的にはブルースの影響が大きく、また、その他の音楽要素からもジャズやフォーク・ソングの影響を受けていることは否定できない。それにもかかわらず、この曲に特有の複雑なコード・チェンジを伴う旋律の展開からは、ニック自身がこよなく愛したというバッハに象徴される伝統的な西洋音楽の影響が大きいと感じられるのであり、そのベースを成したものとして、階級社会のイギリスで中流以上の家庭に育ち、少年時代からピアノ、クラリネット、サックスに親しんだというニックの生い立ちを無視することはできないだろう。

 様々な音楽要素をブレンドしながらも、作曲と演奏の両面におけるテクニカルな探求のみをもって満足することなく、自身のソングライター及びシンガーとしての個性をハイブリッドなサウンドの中できらめかせているところに、ニック・ドレイクのアーティストとしての真価の一面 が見い出されるのではないかと思うのである。

 

[モア・インフォメーション]

 90年代の半ばに、渋谷系サウンドのルーツ的存在としてニック・ドレイクの作品が俄に注目を集めた時期がある。クラシック、ジャズ、ブルースなど複数の音楽要素を取り込みながらも核となるオリジナリティを見失わないニックの姿勢が、当時の先進的なサウンド・クリエイトを目指した日本の若手ミュージシャンの創作活動に刺激を与え、また、バブル経済の崩壊直後とは言え、あるレベル以上の経済的な余力を持ち消費志向的なライフ・スタイルを好んだ当時の若者たちの感覚にその音楽性がフィットしたのであろう。

 ニックの音楽が、批評家やプロのミュージシャン仲間からは絶賛されながらも、ヒッピーやカウンター・カルチャーが主流を成していた60年代末から70年代前半の音楽マーケットでほとんど顧みられることがなかったという事実に照らしたとき、90年代の豊かな日本の若者たちにニックの作品が違和感なく受け入れられたという現象には考えさせられるものがある。

 ニック・ドレイクは、「ファイヴ・リーブス・レフト」の発表後に、「ブライター・レイター」(1970年)と「ピンク・ムーン」(1972年)の2枚のアルバムをリリースし、その生涯で計3枚のオリジナル・アルバムを残している。

 「ブライター・レイター」は、フェアポート・コンベンションのメンバーやジョン・ケイルらが参加し、また、ストリングスと女性コーラスを生かしたロバート・カービーのアレンジが冴えるエレガントなアルバムである。一方の「ピンク・ムーン」は、一転して、ニック自身のピアノとアコースティック・ギターを中心にまとめられ、シンプルなサウンドの中にニックの肉声を奥深く響かせるユニークな作品となっている。

 ニック・ドレイクは、1974年11月24日の深夜に、英国の自宅で抗鬱剤を睡眠薬と間違えて服用するという事故によって26歳の若さでこの世を去った。直前にフランスへの旅行を終え、本人の創作意欲が新たに高められていたと伝えられる時期だけに本当に惜しまれる事故死である。

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