ビートルズ特集


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アストリッド・キルヒャー/Astrid Kirchher

 

 スチュアート・サトクリフピート・ベストを含むビートルズの面 々が、クラブでのライブ演奏を目的にハンブルクへ渡ったのは1960年の夏であった。その後、ハンブルクのクラブ、カイザーケラーでの演奏活動を続けていたビートルズは、ロック・アルバムのジャケット・デザイナーを志す元美大生クラウス・ヴアマンの紹介で一人の女性写 真家と出会う。アストリッド・キルヒャーである。

 アストリッドもまたビートルズのファンとなり、彼らを被写 体に撮影を行うが、彼女が撮った当時のビートルズ写真の多くは、初期のビートルズを伝えるフォトグラフの中で最も優れたものと言われている。加えて彼女は、ビートルズにマッシュルーム・カットを受け入れさせた張本人としても知られている。ビートルズが、グリースで髪を固めるロックンローラー然としたスタイルを抜け出し、独自のファッションやイメージを確立していくうえで、アストリッドの果 たした役割は小さくないものと思われる。

 なお、当時、ビートルズのベーシストであったスチュアート・サトクリフは、アストリッドと恋に落ち、彼女と婚約したために2回目のハンブルク公演 (1961年) を最後にグループを抜けているが、その後、脳腫瘍のために若くして命を落としている。(このあたりのいきさつは、映画「バックビート」に詳しい)

 また、直接の関連はないが、アストリッドがビートルズと出会うきっかけを提供したクラウス・ヴアマンは、ビートルズのアルバム「リボルバー」(1966年) で念願のジャケット・デザインを手掛けるとともに (ロック史上、最も有名なアルバム・ジャケットの一つとなった)、マンフレッド・マンのベーシストとして活躍したほか、プラスティック・オノ・バンドのベーシストとしてもジョン・レノンのソロ・アルバム「ジョンの魂」(1970年) や「イマジン」(1971年) に参加している。

 ・関連ページ ビートルズ関連アーティストのリンク集へ(アストリッド・キルヒャー、スチュアート・サトクリフ、クラウス・ヴアマンの特集サイトを含みます)

 

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