ロック名曲セレクション


プラウド・メアリー
  クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Proud Mary
リリース 1969年
作詞・作曲 ジョン・フォガティ
プロデュース

ジョン・フォガティ

演奏時間 3分7秒
収録アルバム 「バイヨー・カントリー」(ファンタジー/1969年)
ミュージシャン ジョン・フォガティ(ボーカル、ギター)、トム・フォガティ(ギター)、スチュ・クック(ベース)、ダグ・クリフォード(ドラムス)

 

[レビュー]

 米国西海岸のカリフォルニアで結成されながらも、時代のトレンドと言えるサイケデリックなサウンドに背を向けて、ブルース、カントリー、ロカビリーなどのルーツ・ミュージックの影響をあらわにするストレートなロック・サウンドを展開したクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(以下「CCR」)は、60年代末から70年代初頭の米国ロック・シーンを駆け抜けたアメリカン・ロックのシンボル的なロック・バンドである。

 CCRのルーツは、ジョンとトムのフォガティ兄弟にベーシストのスチュ・クックとドラマーのダグ・クリフォードが加わって1959年に結成されたザ・ブルー・ヴェルベッツへ遡る。このグループは1961年から62年にかけて3枚のシングルをリリースするがいずれもマイナー・ヒットにとどまり、その後の1964年にファンタジー・レコードと契約した彼らはザ・ゴリウォグスとグループ名を変えて再出発を図る。

 計7枚のシングルをリリースしたものの、いずれも鳴かず飛ばずの結果 に終わったザ・ゴリウォグスは、1968年に再びグループ名を変更。クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと名乗って初のアルバム「スージーQ」(1968年/原題は "Creedence Clearwater Revival")をリリースする。そして、このアルバムからのシングル・ナンバー「スージーQ」(デイル・ホーキンスの同名曲からのカバー)が全米チャートの第11位 へランク・インするヒットとなったCCRは、ようやく人気バンドの仲間入りを果たすことになる。

 ヒットしたカバー・ソングとオリジナル曲とのキャラクターの相違など、デビュー・アルバムにおいてはロック・バンドとしての明確な路線が未だ定まっていなかったCCRだが、1969年リリースのセカンド・アルバム「バイヨー・カントリー」では、ブルース色の濃い南部系のサウンドを基調とするロックンロール・バンドとしての性格を強くアピールすることに成功する。

 本ナンバー「プラウド・メアリー」は、「バイヨー・カントリー」からシングル・カットされて全米チャートの第2位 まで上昇した大ヒット・ナンバーであり、また、この後に続くCCRの一連のヒット・ソングの原型となった彼らの最大の出世作である。

 曲は、ギターとドラムスだけのリズミカルなイントロでスタートしてジョン・フォガティのボーカル・パートへと引き継がれる。第一主題がコード・チェンジする直前にベース・ラインが加わり、リズム・ギターとの美しいハーモニーの中でさりげなくセカンド・テーマを導く序盤の展開からは彼らの持つ音楽センスの素晴らしさが理解されよう。

 「プラウド・メアリー」は、サザン・ロック寄りのディープなリズムと重みのあるギター・サウンドが特徴的な「バイヨー・カントリー」の中にあって、ブルース系のリズムを採用しながらも、曲調そのものからはカリフォルニアの青い空のような明るさと清涼感が感じられるナンバーである。ブルースやスワンプ・ロックなどの南部的なサウンドに自らの音楽的バックボーンを求めながらも、ウエストコースト出身の彼らが最終的なよりどころとした音楽上のエレメントはサンフランシスコやロサンゼルスのロックにつながる独特の明るさと美しさであり、その二つの音楽要素を彼らゆえのオリジナリティの中で両立させたところにヒット・メーカーとしてのCCRの存在感があったように思う。

 その意味で、「プラウド・メアリー」は、シングル・ヒット・メーカーとしてのCCRが自らの創作スタイルを強く自覚し、その後の多くのヒット・ナンバーを生み出すきっかけを成した作品と言えるのではないだろうか。

 

[モア・インフォメーション]

 アルバム「バイヨー・カントリー」は、リトル・リチャードのカバー曲「グッド・ゴリー・ミス・モリー」や、印象的なギター・リフとともにジョン・フォガティのタフなボーカルがシャウトする「ボーン・オン・ザ・バイヨー」、また、リズム・ギターのカッティングをバックにジョン・フォガティのリード・ギターが自在に飛翔する「キープ・オン・チューグリン」など、ブルースやカントリーの影響を十分に感じさせるナンバーで埋め尽くされ、CCRのロック・バンドとしての個性を完全に確立するアルバムとなった。

 その後も、CCRは「グリーン・リバー」(1969年)、「ウィリー・アンド・ザ・プアー・ボーイズ」(1969年)、「コスモズ・ファクトリー」(1970年)などの傑作アルバムを発表し続けるが、彼らの真の魅力は、アルバムよりもむしろ個々のシングル・ヒット・ナンバーにこそ発揮されていると言うべきかもしれない。(コンセプト・アルバム・ブームの時代に、あえてアルバム単位 ではなく魅力的なシングル曲の創作にこだわり続けた点もCCRらしさの表れと言えよう)

 1969年から70年にかけて、CCRは「グリーン・リバー」、「コモーション」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「トラベリン・バンド」、「光ある限り」、「雨を見たかい」など無数のヒット曲をチャートの上位 へ送り込み、ビートルズ解散直後のロック/ポップスのチャート・シーンを支えていく。

 CCRはアルバム「ペンデュラム」(1970年)の発表後にオリジナル・メンバーのトム・フォガティが脱退して三人編成となり、また、1972年のアルバム「マルディ・グラ」の発表を最後にグループの解散に至る。しかし、グループのほとんどのオリジナル曲を作曲した事実上のリーダー、ジョン・フォガティはその後にソロ活動へ転身し、「ジョン・フォガティ」(1975年)、「センター・フィールド」(1985年)、「アイ・オブ・ザ・ゾンビー」(1986年)などのアルバムを発表してCCR的なサウンドを継承している。

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